家業にイノベーションを巻き起こす 〜強い想いを次々と形に〜 みやじ豚社長 宮治勇輔氏〜

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みやじ豚社長宮治勇輔氏は今日も日本各地を奔走する。実家の養豚を継ぐという決断の時から一貫して叶えたい未来に対する強い想いがあるからだ。それは「一次産業をかっこよくて感動があって稼げる3K産業にする」こと。

品質の高い日本の畜産物や農産物が世界的にも注目される一方で、日本の農業人口は高齢化や後継者不足で減少する一方だ。宮治氏は農家の後継者を支援するNPO法人「農家のこせがれネットワーク」をたちあげ、農業に携わる人以外もコミュニティに引き入れることによって、新しい農業の在り方を模索してきた。

その画期的な取り組みはメディアからも注目され取材も殺到、農業分野の社会起業家として取り上げられることも多く全国47都道府県で数百回の講演もこなしてきた宮治氏。その成果もあり、今では各地で生産者のわかる野菜などが売られ、マルシェやネット販売などで生産者と消費者の交流が生まれている。

ただその生き様は欲に溺れることなく堅実的だ。宮治氏はどのように考え、どのように想いを実現してきたのだろうか。

目次

きっかけは何気ない友人の一言 〜生涯をかける想いが芽生える

生涯をかけて達成したい想い「一次産業をかっこよくて感動があって稼げる3K産業にする」、それは意外にも身近な友人の一言がきっかけだった。

「年に1回豚のコンテストでは実家の豚がお肉になって戻ってくるんですが、食べきれないので友人を呼んでバーベキューをやったんですね。そうしたら『こんなにうまい豚は食べたことがない!』と感動をする友人に親父もいい仕事をしているんだなと思った瞬間『この豚肉はどこに行けば買えるの?』という素朴な問いに頭が真っ白になった。それが僕の原体験なんですよね。」

ビジョンのきっかけを語る宮治氏

学生時代には起業家を目指し「実家を継がない」と宣言していた宮治氏。養豚のことを親子で話し合う事もほとんどなかったというが、何気なくみていた実家で育てた豚が最高に美味しいのに品質に見合う価格で取引されず誰が食べているのかもわからない日本の農業の課題に気づいた瞬間だ。

この素朴な疑問が後に宮治氏を農家と消費者を直接つなげる農業プロデューサーへと掻き立てることになる。

会社を辞めて収入見込手取り月3万円のバーベキューで起業する

一旦は人材会社で働き始めた宮治氏。30歳までに起業したいと毎朝勉強を重ねていた。そしてふとしたことから読んだ農業関連の本で、衰退していく日本の農業の課題について思い知ることになる。学生時代の疑問が蘇り、その問題に目を背けられなくなった宮治氏は、本気で日本の農業を変える決心をする。そして生まれたビジョンが『一次産業をかっこよくて感動があって稼げる3K産業にする』ことだ。

「『一次産業をかっこよくて感動があって稼げる3K産業にする』ためにはうちで何ができるんだというところで農業の本を色々読み漁ろうとしたんだけど、当時今みたいにたくさん農業経営者の本が出ていたわけじゃなくて、もう全然なかったんですよね。その頃読んだ本はもちろん糧にはなっていますけど、やはりバーベキューをコツコツ続けていったのがすごく良かったなと。僕の現場は生産現場ではなく、バーベキューなんですよね。」

家族経営のみやじ豚で何ができるのか。お金もない、人もいない、ノウハウもないうえ、家族は豚の飼育で忙しい。ただ大切に育てられていた実家のみやじ豚の味は格別だった。養豚業では豚を豚舎に詰め込んで飼うのが一般的とされるなか、他と同じ広さの豚舎に飼う豚の頭数を半数ほどにし、兄妹豚だけのストレスのない環境で餌にもこだわり飼育しているだけあって、その肉は旨味に溢れ脂身は繊細でクリーミーだ。この美味しさを消費者に直に知ってもらいたい。そのために自分1人でできること、考えついたのはバーベキューだった。みやじ豚の美味しさをプレゼンするには最高の形だが、月に30人参加した場合、経費を差し引くと手取りはたったの3万円位になる。果たして商売として成り立つのだろうか。

「出るお金を最初に小さくしてスタートすることができたっていうのもすごく良かったですね。これは家業のいいところでもあって家業という土台があるから新しいことにチャレンジできたと。バーベキューに使った僕が最初に投資した金額なんかメール配信ソフト、名刺管理ソフトくらいなので2万5千円ぐらい。バーベキュー場は近所の観光果樹園をお借りしたので赤字にはならない。もちろん自分の給料を度外視してのことですけどね。」

事業としてだけ考えたのであれば、その収益見込みを前にほとんどの人は気持ちが萎えてしまうだろう。だが宮治氏の描く未来へのビジョンはあくまで農業のあり方を変えることだ。バーベキューはそのための最初の一歩に過ぎないのだと考えれば、収入見込みが少ないことは気にならなかった。農業を変えるモデルとして、みやじ豚の美味しさを知ってもらう場を作り生産者と消費者が直接つながるモデルを作るためなのだと。こうしてメルマガ配信ソフトを購入し、学生時代の友人や勉強会で知り合った知人たちに農業への熱い想いに加え、よければバーベキューに遊びに来て欲しいと書き綴ったメールを用意した。そしてドキドキしながら発信した強い想いをのせたメッセージは受信した知人たちの心に響き沢山の応援メッセージが着信したという。

こうして始めたバーベキューでは必ずあの想い「一次産業をかっこよくて感動があって稼げる3K産業にする」を語る。そして家族総出で肉を焼き、お客さんと交流し意見を交わし合う。宮治氏の熱い思いが直接お客さんに伝わり感情を揺り動かした。

850人にメルマガを配信し、初回は参加者20人ほどだったバーベキューも参加者の口コミで広がりメルマガ登録者も一気に増加。参加者の紹介や噂を知った一流レストランからも声がかかるようになり収益も急増した。当然の流れで会社化してみやじ豚というブランドを確立することになる。

通販購入で同封されるしおり。手書き風で親しみやすさと豚への愛に溢れている。

身を投じてみるからこそ見えてくるものがある

小さなバーベキューからブランド化までこぎつけた宮治氏だが、家業を継ぐ決断の前にはどこまで先が読めていたのだろうか。

「まず身を投じることですね。やっぱり頭の中で考えてもある一定のところまで行くと止まっちゃうんですよ思考が。毎日思考が堂々巡りなわけです。やっていないからわからないわけですよね。これはもう会社辞めてやるしかないと。実際戻ってバーベキューをやるといろいろな人とも出会うし、また新しいアイディアも湧くわけですよね、今度うちのレストランでイベントやらないかと声をかけてもらったり場が広がっていくわけです。チェックアクションするから、壁を破ってまた次の計画に行くわけで、それを繰り返していかないと進めない。」

身を投じるからこそ見えてくるものがある。そして主体的に動くことによって見えてくる課題を一つ一つ乗り越えていく。その先にこそ成果がついてくるものなのだろう。

奥に見えるのがみやじ豚の豚舎。

仲間と共に農業のイメージ刷新に挑む

みやじ豚のブランド化を軌道にのせることができた宮治氏。次はあの想い「一次産業をかっこよくて感動があって稼げる3K産業にする」を実現するために地道に活動を続け千人ほどの発起人を集めると、農業と消費者が一体となって新しい農業のモデルを築きあげていく仕組みNPO法人「農家のこせがれネットワーク」をたちあげる。

「自分に何ができるかなって考えた時に『一次産業をカッコよくて感動があって稼げる3K産業にする』って自分の理念ですよね、このミッションを実現するにはみやじ豚だけそうなってもしょうがないわけですよ。その時やっぱり仲間を作って成功モデルを横展開するのか仲間で集まって新しい事業モデルを作っていくのかそれはわからないですけど何か新しい機運を作っていくっていう事ですね。」

「都心で働いている人がビジネスの経験積んで親父が持っていないノウハウとかネットワークとかを実家に持ち帰って親父の経営資源と融合させて新しい農業経営作ったら有益じゃないかなと思ったんですよね。実家を変革して少し規模が大きくなったらさらに地域を巻き込んで農家がリーダーとしてその地域を活性化させる。今でいう地方創生ってやつですね。」

描く未来は農業にとどまらず地域全体を巻き込むムーブメントを起こすことだ。

宮治氏は後継者が農家を継ぎたがらない大きな理由は農業がきつい、汚い、カッコ悪い、くさい、稼げない、結婚できない6K産業のイメージがあるからだという。ただ宮治氏らの活動によって、農業の持つイメージは大きく変わってきた。

「優秀な若い農業経営者の人たちが本を書いたりいろいろな活動をしたりするようになって、僕らの活動が一段落したなというのは活動を始めて最初の5年くらいですかね。農業界では突拍子もないようなことをやっていました。六本木でマルシェの運営をしたり、六本木農業実験レストランみたいな拠点を作ったり、農家サミットっていう麻布十番の農業版街コンをやったり、賞金100万円のスター農家発掘オーディションをやったりだとか結構業界では画期的と言われるような活動をやってきて、僕らが活動を始める前は農業が大きくニュースに取り上げられるときって農家がトラクターで何かやっているなみたいなニュースが多かったんですが、今では若い子達も仕事先の選択肢の一つとして普通に農業を検討するような時代になりました。」

宮治氏のいう六本木の農業実験レストランである「六本木農園(現在は閉園)」とは、「実家は農家だが東京で働いているビジネスパーソン(農家のこせがれ)が持つ潜在的な農への意識を育て、都市と地方を結ぶ新しい農業支援モデルをつくる場所」というのがモットーであり、食材のおいしさや、農業の大切さや楽しさなどを発信する実験レストランだ。野菜の育つ過程を観察しその野菜を食べて楽しむ 。温室ユニットでは野菜が育てられ、農家ライブなど農家の人のトークイベントやコラボイベントが開催されてきた。内装も参加した人々に共有感覚をもってもらうため全国の農家の方々から提供してもらった土を東京にいる農家の息子、娘が自分たちの手で塗るワークショップの形式をとったという。ただ訪れて食事をするだけではない、 存在意義が拡張された空間になっていてしかも洗練された六本木という場所に馴染む洒落た大人の空間になっている。

まさに東京にいる農家のこせがれが今までの農業という職業のイメージを一新し、新しい農業モデルを作ることへのヒントを得、農業の楽しさを再認識するためのアイディアの宝庫であり実験室だ。家業を継がない東京のこせがれの心を掴む数々の今までにない画期的な試みはマスコミにも取り上げられ世間の注目を集めた。情報感度の高い現在ではメディアが世間に与える影響も大きい。

「楽しいところに人が集まるので楽しそうに活動するっていうのも大事ですね。もちろん楽しいという軸だけではなくコミュニティという場所もあるでしょうし、基本的にはやっぱり自分にとってプラスになることがあるとかね。そういうのがないと人は参加しないですよね。」

多くの人を巻き込むことができたのも宮治氏の人柄によるところが大きいのだろうが、実際に農家の話を聞いたり活動することによってどうしたら世間を巻き込む活動にもっていけるかを肌で感じ取っていたのだろう。

ただ、古い従来の経営方式が当たり前といわれる農業分野で周りを巻き込み改革をしていくことは並大抵のことではないだろう。宮治氏が明確なビジョンを常に掲げていたからこそ賛同する人たちを巻き込みこれほどの大きなムーブメントを巻き起こせたのかもしれない。

家業後継者の果敢な挑戦に伴走する

宮治氏は農業についての意識改革がある程度浸透し一段落すると、以前から問題意識を持っていた家業の承継問題に取り組むために、「家業イノベーションラボ」の運営に携わるようになる。

「家業イノベーションラボ」とは家業の後継者とそれを応援したい人々がめぐり会うことによって、全く違うビジネスを始めたり、今までの常識にはない次世代の価値観に触れることによって生まれる化学反応を応援し、挑戦する仲間に手を差し伸べ伴走するコミュニティだ。

「家業の後継者って社長ではないケースもあるので先代のお父様が社長をやっていて実はあんまり動けないという人も多いんですね。なので外部人材を採用するための採用活動とか、どういうふうに外部の人に手伝ってもらったらいいのかわからなかったりするところをサポートして間に入ってコーディネートするわけです。外部人材は3〜5万くらいでやってくれる人が多いので。そうするとちょっと挑戦してみようかなとなるので。」

「後継者あるあるなんだけれども、先代の経営者と場合によっては毎日のように経営方針でぶつかって喧嘩したり1人で考えて悶々とするわけですよ。でも家業のコミュニティに参加して他のみんなもそうなんだと気づけば心が軽くなるわけですよね。みんなが通っている道で当たり前なんだと。意外と話を聞いてあげて自分の体験談を語るだけでも解決することもある。」

自身も実家に帰る前、親父にいくら農業プロデューサーの話をしてもなかなか受け入れてもらえなかったと話す宮治氏。家業承継の問題は、自身の経験があってこそ苦悩が身に染みてわかる。センシティブな問題だけに、同じような境遇の仲間に相談したり、先駆者の経験談を聞けることは心強いであろう。

「なかなか親子で話が合わなくても、時間が解決することもあります。ちょっと体調悪くなって気弱になっている時とかね、俺の代わりに経営してくれとか、そういう時に交渉するんですよ。社長をやるのはやぶさかではないけど株を全部譲ってくれないとできないとか。株がないといつ辞めさせられるかわからないから、そこの交渉も大事。100人いれば100通りのパターンがあるわけで。いろいろな話を聞いてうちだったらこうしてみようかなというイメージがつくれるわけですよね。それから自分に経営権がある、社員が自分の右腕として動いてくれるなど、土台固めが大事。こうした土台がしっかりしてないとイノベーションなんて起こせないから。」

日本はファミリービジネスが経済の大きな部分を占めている一方、規模が小さな会社が多く経営改革が遅れているケースも多い。それだけ改革の余地は多いが、後継者が従来の経営方針を踏襲しているうちに変革の気概を失うことも多いという。後継者は早期に強い意志を持って変革に取りかかる必要があるものの、社内のベテラン勢に反感をかったり、相談できる人がいない場合も多い。他の会社のケースを学んだり、外部人材との橋渡しをしてもらえる仕組みは大変心強いものであろう。

家業は日本の文化・伝統・歴史を担う重要な存在

さらに家業イノベーションラボは、家業が地域の文化・伝統・歴史を担う重要な存在であると認識し、世界へ発信することも目指しているという。

「日本はもともと世界でも稀な文化や歴史や伝統が2600年もの間長く続いている国。日本には世界に誇るべき素晴らしい文化や歴史や伝統があるんだってことを日本人ひとりひとりが認識しないといけないというところですよね。なんとなく西洋の方が歴史もあるし洗練されていると考えるのが日本人の悪い癖ですね。気づいた人から周りに伝えていくというのが大事なのかもしれません。」

日本の素晴らしい伝統や文化も新しい時代にあったマーケティングや発信でこそ世の中に知ってもらうことができる。今では生活様式に合わなくなってきているものも、新しい技術とのコラボレーションでイノベーションを起こすことによってまた新たな魅力を創出することができることも多い。

自分のやりたいことを知り主体的に動くことが大事 

バーベキューから始まった宮治氏の活動は、メディアにも注目され日本の農業や家業を中心とする産業の発展に大きな波を引き起こした。

実家のみやじ豚は農林水産大臣賞を受賞し、2010年には地域づくり総務大臣表彰個人表彰を受賞、農業や家業を支える活動により2016年ダイヤモンドハーバードビジネスレビュー未来を作るU-40経営者にも選出された宮治氏。

社会を変革するための活動や事業を始めたいと思っていても実際に踏み出すことができない人も多い。そんな人に対する活動のヒントを聞いた。

「そもそも無理して社会を変えようなんて思わなくてもいい。自分の興味関心分野で既に活動している人がいるはず。その人を応援することで一歩を踏み出すのがいいと思います。」

世の中一般の成功という言葉に翻弄されず、もう一度自分自身に問いかけてみたい。それが本当に自分のやりたいことなのか。宮治氏の場合は最初にビジョンを打ち立てた。自分自身のぶれないビジョンがあればそのあとはどちらに転んでも構わない、あとは一歩一歩進むだけだ。

ただ想いが強いだけではここまで多くの人を巻き込むことはできなかったであろう。それぞれが信頼し合い主体的に動く、学びがあり楽しさを感じられる企画や雰囲気づくり、そんな宮治氏の創造的なチームづくりが農業や家業にトルネードのように大きなムーブメントを巻き起こした原動力になったのではないだろうか。

【了

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